おわりに

イスラームは真実かと聞かれれば、私はイエスと答えます。考 えうる全ての問題に、論理的な解答を与えてくれるからです。 信仰や、アッラーへの信頼、ムスリムとしての義務を果たし、 禁じられたことを避ける自分に、安らぎと快適さを感じます。 それによって自分の権利と他人の権利が守られていると感じ るのです。善きもの、倫理、マナーを支持して、全ての悪を避け るように、アッラーが呼んで下さるのを感じます。もし信仰が これらを与えてくれないのであれば、一体どこに善きものがあ ると言うのでしょう?
最高の信仰とは何でしょう。イスラームです。「あなたはムスリ ムだから、イスラームを広めようとしているだけだ」と言う人 もいるでしょう。しかし、このように主張しているのはムスリム だけではありません。西洋諸国にいる多くの文学者たちが、公 正な姿勢でもって、イスラームの素晴らしさを説いています。





さて、イスラームを真実として受け入れる準備はできました か?


  • それは神の唯一性へと呼びかけるからでしょうか?
  • 全能の神のみを信仰するように呼びかけるからでしょ うか?
  • 人々にあらゆる形における倫理を支持させるからでし ょうか?
  • 正しくあり、不正を避けるように呼びかけるからでしょうか?
  • アッラーの目には全ての人が平等にうつるからでしょうか?
  • その教えによって全人類が神に与えられた権利を受け取 るからでしょうか?

1400年前から現在に至るまで、イスラームを受け入れる人は 増え続けています。偏見なく耳を傾ければ、誰もが確信を持っ てイスラームを受け入れることでしょう。たとえ受け入れない としても、正しい理解と敬意を持ち、憎しみを抱くべきではあ りません。

世界中のムスリムの現状を見れば、迫害や困難にも関わ らず、彼らが確固たる信仰を握りしめている事がわかり ます。ソビエト連邦では70年間、ムスリムが迫害されてき ました。モスクは破壊され、人々は改名を余儀なくされま した。そして公に信仰を持つことすら禁止されていたにも 関わらず、ソ連崩壊と同時に、彼らは新たなムスリム国家 を成立させたのです。これはムスリムたちが満ち足りてい て、幸福で、揺るぎない信仰を持っていることの証拠だとは 思いませんか?





公正に真実を探す人ならば誰でも、イスラームの教えには 不適切なものなど無い事に気がつくことでしょう。イスラー ムは自分自身をより善く成長させるための礼儀作法を守る ように呼びかけます。真実を追い求めて世界中の宗教を学 んでもなお、まだイスラームには目を向けた事のない人が います。彼らが幸福を見いだすことができますように。

人生には、決断を迫られる時があるものです。選択肢は、 二つに一つ。イスラームを受け入れて幸福を手にするか、 それを受け入れる事なく、今まで通りに過ごすか。イスラー ムが毎日のようにメディアで批判されているのは何故でし ょう。人間には理解できないものを恐れる傾向があるので す。しかし、理解できないからといって憎む必要はありませ ん。イスラームの教えと知識が正しく広まることで、人々が 救われますように。

真実を受け入れる道のり

真実を受け入れる最初のステップは、客観的に物事を見つめ ることです。どうかあなた自身のために、神の助力と、お導き を願ってみて下さい。あなたの中に真実を求める誠実さがあ るならば、きっと神によるお導きがあることでしょう。彼はおっ しゃります。
『また(人々よ)、あなた方の主は仰せられた。「私に(のみ)祈 るのだ。そうすればわれは、あなた方に応えよう。本当にわれ の崇拝に対しておごり高ぶる者たちは、やがてさげすまれた 者となって、地獄に入ることになる。』
(40:60)


数多くの作家や、思想家、学者たちが世界中でイスラームを 教を、その素晴らしい活 受け入れているのは何故でしょう?イスラームの誠実さや美 しさに触れて、否定的なメディアの影響を受けることなく、自 分自身で判断したからに他なりません。彼ら自身が、イスラー ムを真実として受け入れることを決めたのであり、彼ら自身が 本当の幸せを、この人生において生き始めたのです。
中にはイスラームについて読んで学び、理解しながらも、受 け入れない人もいますが、クルアーンとイスラームについて

は真実を話しています。トーマス・カーライルがその例で、彼 は言いました。
「間違った人間に、宗教を打ち立てることは出 来ないだろう。間違った人間には、レンガで家を建てることす ら出来ない。建築法も知らず、モルタルの性質も、粘土の焼き 方も、何も知らないとすれば、ゴミの山が出来上がるだけであ り、そんなものは一日たりとも持ちはせず、偽札のように無価 値なのだ

( Encyclopedia of Seerah, by Afzalur Rahman )


有名な作家であり、評論家でもあるジョージ・バーナード・ ショー(1950年没)は言いました。
「私は常にムハンマドの 宗教を、その素晴らしい活力において高く評価している。そ れは現存するものの中で唯一、どの時代においても受け入 れることが可能な宗教だからである。私は、明日からでも 現代ヨーロッパがムハンマドの信仰を受け入れることがで きると公言する。中世の聖職者たちは、無学からにせよ、頑 迷からにせよ、イスラームを暗いイメージで塗りつぶして きた。ムハンマドという人物と宗教が、人々から嫌われるよ うな教育をしてきたのである。彼らにとってムハンマドは 反キリストなのである。様々なことを学んできたが、彼は素 晴らしい人物であり、反キリストとはおよそ程遠い、人類の 救世主と呼ぶべき人物である」
(『英雄崇拝論』より 。)
まわりの人間は、賢くそれに気付かなければならない。フラン ス革命がそうであったように、間違った真実への理解にもと づく宣誓は、やがて燃えつきてしまう。偉大なる人物とは、驚く までに真実である。真実が基盤だからこそ、全てが彼のうちに 横たわることができるのだ」
( アフ マーン著『エンサイクロ ペディア・オブ・スィー ラ』より。)



アッラーはおっしゃります。『(使徒よ、)本当にあなたが、自分の好む者を導くのではな い。しかしアッラーが、かれのお望みになる者をお導きになるの であり、かれは導かれる者たちを最もよくご存知である。』
(28:56)

希望を失ったり、「私は導かれた者ではなかったのだ」などと 言ってはいけません。アッラーの使徒(彼に平安と祝福あれ) はおっしゃりました。「それを拒む人をのぞいて、私の共同体 にいる全ての人は天国に入るでしょう」彼(平安と祝福あれ) は質問を受けました。「誰が拒むのですか?」彼はおっしゃりま した。「私に従う人は天国に入り、私に従わない人は拒んだこ とになります」
(ブハーリーによる伝承)

イスラームを攻撃するために学び始めた東洋学者の多く が、最終的にはイスラームへと改宗してきました。デボラ・ポ ッター は断言しました。
「神の法であるイスラームは、 私たちを取りかこむ自然について明らかにしています。アッラ ーが創造なさった山々、海、天体や軌道を回る星々。彼らは物 語の登場人物のように、創造主であるアッラーに従っており、 最高の規範はアッラーにあるのです。彼らは創造主がお決め になったこと以外、喋ることも、演じることもありません。全宇 宙に存在する、原子から無生物にいたるまでの全てがアッラ ーに従っているなかで、人間は自由意思を与えられた特別な 存在です。私たちにはアッラーの命令に従うことも、それを諦 めて自分のための宗教を作り出すこともできます。そして不幸 なことに、多くの人が二番目を選んでいるのです。ヨーロッパ やアメリカで、多くの人がイスラームを受け入れているのは、 彼らが自由な心と精神的な安心感に飢えているからです。イ スラームを破壊するために、その欠点のリサーチを始めた多
くのキリスト教東洋学者や宣教師が、ムスリムになって来まし た。決定的な真実の証拠は、否定のしようがないのです」


ほとんどの宗教には、その実践と教えにおいて受け入れが たい要素がありますが、イスラームは違います。かつて使 徒と、預言者たちが特定のグループにつかわされてきたの に対し、最後の預言者であるムハンマドは、全人類のため につかわされました。


イスラームへの疑いと答え

「もしイスラームが、あなたが主張するように正しく、また素 晴らしいのであれば、すべてのムスリムがその信仰を固守し ているはずだ」という声も、聞こえてくるかも知れません。過去 に出会ったムスリムに、嫌な思いをさせられた人もいるかも 知れません。しかし、それによってムスリム全体が悪くなると いう訳ではありません。多くのムスリムが本来あるべき、正し いイスラームを生きています。そして、あなたが信じるか信じ ないかは別として、やがて私たちは行動の責任を、アッラーの 前でとる事になります。

信号機があるのは、私たちの運転マナーを守るためです。赤 信号で飛びだせば、自分のことだけではなく、他人のことをも 危険に巻き込んでしまいます。それを目撃した人たちが、法律 を守ることなく、もみ消してしまったらどう思うでしょう。たとえ 何回かを逃げきったとしても、やがては逮捕されて自分の行 いについて罰を受けることになります。

ムスリムについても同じことが言えます。イスラームに従わない 人がいたとしても、それでムスリム全体が悪くなる訳ではありま せん。ひらたく言うならば、イスラームのことはムスリムの行い によってではなく、その教えによって判断すべきなのです。
イスラームを受け入れるという決断は難しく、勇気がいること であるかもしれません。全能なるアッラーに祈ります。あなた が真実へと導かれ、あなたの心が真実へと開かれ、完全なる 幸福へのお導きがありますように。アーミーン。